○戯論遊戯○
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■ピクサースタッフの遊び心 同人トランプ『54 Intercontinental Cuties』
ピクサーのストーリーボードアーティストのビル・プリージング(Bill Presing)とジョシュ・クーリー(Josh Cooley)の2人が自主制作し、アメリカ版のコミケ「コミコン・インターナショナル」で2010年に販売された同人トランプ。 ディズニーキャラクター風のセクシーでキュートなピンナップガールのオリジナルイラストカード54枚(すべて絵札)をそれぞれ27枚ずつ2人で分担して描いている。タバコの箱のようなパッケージデザイ
ピクサーのストーリーボードアーティストのビル・プリージング(Bill Presing)とジョシュ・クーリー(Josh Cooley)の2人が自主制作し、アメリカ版のコミケ「コミコン・インターナショナル」で2010年に販売された同人トランプ。 ディズニーキャラクター風のセクシーでキュートなピンナップガールのオリジナルイラストカード54枚(すべて絵札)をそれぞれ27枚ずつ2人で分担して描いている。タバコの箱のようなパッケージデザインもオリジナルだそうだ。 カードの裏面にスチュワーデスが描かれているように、世界各国の美女がテーマ。額縁の外は下着のイタリアのモナリザ、焚き火の煙がハート型になっているアメリカのインディアン、蛇で出来た髪をパーマかけているギリシャのメドゥーサ、マトリョーシカ人形の中に隠れている豊満なロシアの赤ずきん、極寒のアイスランドで凍結している裸の女性、禁断の果実の山をモリモリ食べているエデンのイヴ、など時代や時には国も関係なく題材として選んで、発想を自由に羽ばたかせている。 日本も題材に選ばれているが、髷を結い廻しを締めた裸の女性ふたりが乳相撲をしているという図である(苦笑)。ちなみに、ジョーカー2枚はそれぞれ北極と南極でポールダンスをしているダンサー。南の方はペンギンともども下に落ちそうになっているなど芸が細かい。 イラストを可能な限り、ゲームをするのに支障が出ない範囲で、大きく見せたいという意図があり、カードのサイズが通常よりやや大きめである(約76mm×107mm)。2人のどちらがどのイラストを描いたかわかるお品書きカードも封入されている。 お気に入りの1枚。セクシーなホビットにメロメロなサウロン。 制作者のビル・プリージングは、ピクサーの同僚であった堤大介が企画した「スケッチトラベル 」に参加しており、過去の経歴を調べていた過程で筆者はこの同人トランプの存在を知った。ちなみに「トトロフォレストプロジェクト」にも参加。そのときは、森の川で水浴びする女性をのぞき見・衣服を盗ろうとするトトロのイラストを提供している。 もうひとりの制作者ジョシュ・クーリーは「スケッチトラベル」「トトロフォレストプロジェクト」のどちらにも参加していないが、2017年公開予定の『トイ・ストーリー4』でジョン・ラセターとの共同監督に抜擢されたので、今後、ジョシュ・クーリーの名前を聞く機会は多くなるかもしれない。 Amazonでは一般流通はしていないようだが、「コミコン・インターナショナル」での販売のあと、制作者の個人Webサイトで通販を開始(ビル・プリージングのブログからはまだ購入が可能のようだ )。ラフ・スケッチなど、トランプのイラスト制作の裏側もブログで公開しているので覗いてみてはどうだろう。 Daily Peril(Bill Presing)54 Intercontinental Cuties More Intercontinental Cuties Yet More Intercontinental Cuties Intercontinental Box Art Intercontinental Process COOLEY!(Josh Cooley)54 Intercontinental Cuties! MORE 54 Intercontinental Cuties! 54 Intercontinental Cuties!: The Process 関連当blog記事■宮崎駿『風立ちぬ』試論1.0 ■児童文学のススメ 「宮崎駿が選んだ50冊の直筆推薦文展」 ]]>
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2015-04-20T22:07:17+09:00
紫の豚
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■人体小宇宙への冒険 『学習まんが・人間のからだシリーズ① 食べ物のゆくえ 消化と吸収』
『学習まんが・人間のからだシリーズ① 食べ物のゆくえ 消化と吸収』監修・指導/中野昭一 漫画/井上大助 1985年~1986年に出版され、現在では絶版になっている学習まんが「人間のからだシリーズ」(全8巻)の第1巻『食べ物のゆくえ 消化と吸収』。シリーズ全体にもいえることであるけれど、欄外に豆知識が書いてあったり、合間に身体の機能を説明する図解が入っていたり、巻末には本編の補足事項が記載されていたりと、きっちり
『学習まんが・人間のからだシリーズ① 食べ物のゆくえ 消化と吸収 』 監修・指導/中野昭一 漫画/井上大助 1985年~1986年に出版され、現在では絶版になっている学習まんが「人間のからだシリーズ」(全8巻)の第1巻『食べ物のゆくえ 消化と吸収』。シリーズ全体にもいえることであるけれど、欄外に豆知識が書いてあったり、合間に身体の機能を説明する図解が入っていたり、巻末には本編の補足事項が記載されていたりと、きっちり学習まんがとしての体裁が取られているが、なにより漫画としてとても面白い。 好奇心旺盛な宇宙人ピポパ、面白いことが好きな少年ロップ、可愛くて頭もいいアヤ、メガネっ娘のサッチン、天才科学者で解説役でもある神田博士、その博士がつくったロボットのチョンボ8世。どれも魅力的なキャラクターでとても生き生きしている(第1巻では出番が少ない乱暴者だが気の優しいボテボテもいいキャラクターだ)。「学習まんが」の響きから想像する品行方正であるが人格が漂白されているような人物たちではない。 神田博士が発明した目覚まし時計型のタイムマシン・タイミーくんと地球人の身体を調べる目的でピポパが乗ってきた拡大縮小自在な宇宙船ポシェット号を利用して、30年前の若くて健康な神田博士の身体のなかに口から入っていく。歯に挟まれた衝撃で故障したポシェット号から降りて、生身で体のなかを探検しに行くことなるのだが、胃酸など危険なものから身を守るため、ピポパの万能銃から放出した透明な薄い膜(ガード・スール)を着けるという描写をページを割いて丁寧にしているので、大人も納得できるし、子どもは「これで安心だ」と読み進めていくことができる。登場する様々なメカニックのアイディアやデザインも愉快で楽しい。 通ってきた食道から落ちて、胃の入り口である噴門を見上げるピポパたち。これは顕著な例であるが、とてもリアルな描写で恐怖すら感じる。類書である『学習まんが ドラえもんからだシリーズ① 食べ物の消化 』のデフォルメされたツルツルてんとした体内の描き方とはまるで印象が異なる。咀嚼された食べ物もマンガチックにして誤魔化さずに、ちゃんとそれっぽく見せている。「正確に描くために、数多くの医学資料に取り組んだ」と漫画家・井上大助氏の紹介欄にあるので、その成果かもしれない。 生身の肉体で探検するのがとてもいい。同じく類書である『ドラえもん・ふしぎ探検シリーズ⑥ からだ大探検 』ではカプセルに乗って体内を探検していたが、それでは中に居ながらどこか外から眺めているような感覚が拭えない。ポシェット号の故障で前もってその可能性を潰しておいて、自分の足で体内をあちこち探検するという状況をつくり出しているのも、この漫画の上手いところである。こちらの方がより、対象読者である少年少女たちが体内の冒険にドキドキワクワクするし、キャラクターたちを通して仮想体験の実感が強いものになって、よく記憶に刻まれると思う。 十二指腸で、膵液と胆汁が混じった液体を浴びてしまうロップ。ウンコ色・汚い色と周りに揶揄されるが、胆汁に含まれている壊れた赤血球由来の色素が実際ウンコの色になるんだと神田博士に明かされ、衝撃を受けるロップのシーン。子どもにもわかりやすいようにフルカラーで解説。実はこれには伏線があって、ポシェット号で冒険をする日の朝、ロップがトイレで大便をしているところをピポパに覗き見される。そのときにピポパが見た、まさしくロップのウンコそのものもフルカラーで描かれる。これをピポパは憶えていて、「いやあねえ。ロップったら、今朝見たうんこと、同じ色になっているわよ」とピポパは笑う。両シーンともに貴重なカラーページを使用することで、モノクロの絵や文字だけの説明の何倍も強く印象づくし、その結果、知識の吸収を助けることにもなる。 食べ物が口から入って、消化・吸収され、そして残りかすが肛門から出る。小腸の絨毛から毛細血管に入って肝臓まで寄り道したのを除けば、ピポパ一行もだいたいそのような行程を垣間見ながら辿って、冒険を終える。最初から最後まで物語に筋が通っているため、間に解説や図解が挟まれても、ストーリーがあっちこっちと細分化されることはないし、(身長の5倍くらいの長さがある)小腸を歩いて疲弊するピポパたちの表情だったり、血管のなかで見つけた赤血球で遊ぶ彼らが本当に楽しそうに思えるぐらいに、キャラクターの感情表現が豊かなので、興味が持続して飽きない。だから、何度も繰り返しまた彼らと一緒に冒険に出てみようかと思わせるのだ。 同シリーズ別の巻のページだが、お色気シーンもある。たびたびアヤちゃんがその役目を負うことになるのだけれど、その俗っぽいところも含めて、漫画としての魅力になっている。続巻で描かれる、心臓に突入する張りつめた息をのむ一瞬、背が縮んだと勘違いして嘆き泣くサッチン、チョンボ8世の美味しそうな料理、生命の連なりに想いを馳せ感動するロップ、など紹介したい見所は沢山あるが挙げていくとキリがないので、どこかでこのシリーズの本を見つけたら、とにかく各自、手に取って読んでみてほしい。大人が読んでも面白く、そしてためになる漫画であると思う。 『学習まんが・人間のからだシリーズ① 食べ物のゆくえ 消化と吸収 』 『学習まんが・人間のからだシリーズ② 流れる血液 呼吸・循環・排出 』 『学習まんが・人間のからだシリーズ③ 人類の歴史 進化 』 『学習まんが・人間のからだシリーズ④ からだのつくり 皮膚・筋肉・骨格 』 『学習まんが・人間のからだシリーズ⑤ 考える・感じる 脳・神経・感覚 』 『学習まんが・人間のからだシリーズ⑥ からだのはたらき 健康・成長 』 『学習まんが・人間のからだシリーズ⑦ からだおもしろゼミナール 』 『学習まんが・人間のからだシリーズ⑧ 心とからだ なんでも相談室 』 ]]>
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2015-04-19T20:51:12+09:00
紫の豚
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■ナウシカとガルムとファンタジー 押井守監督『GARM WARS The Last Druid』
2014年10月25日六本木・東京国際映画祭『GARM WARS The Last Druid』ワールド・プレミア上映。関係者席とおぼしき列のど真ん中の席が空いており、「もったいないなあ」と思っていたら、舞台挨拶が終わると押井監督が上がってきて、その席に座る。観客と一緒に映画を観るそうだ。劇場が暗くなり、押井監督が帽子を脱ぎ、映画上映が始まる。 監督のアドバイスに従い、字幕は目の端で捉えて、画面に集中することに。川井憲次の音楽
2014年10月25日六本木・東京国際映画祭『GARM WARS The Last Druid 』ワールド・プレミア上映。関係者席とおぼしき列のど真ん中の席が空いており、「もったいないなあ」と思っていたら、舞台挨拶が終わると押井監督が上がってきて、その席に座る。観客と一緒に映画を観るそうだ。劇場が暗くなり、押井監督が帽子を脱ぎ、映画上映が始まる。 監督のアドバイスに従い、字幕は目の端で捉えて、画面に集中することに。川井憲次の音楽が鳴り響く。ファーストカットの映像から震える。素晴らしい。美しい。ブロマガを購読しているから、「GARM WARS」制作の窮状はわかっていた。期待値はそんなに高くなかった。押井監督やるじゃん、と思っていた時間が過ぎ、登場キャラクターが地面に堕ちると、画面のテンションと時の流れが変わる。彼らにとって空で戦争をしているのが常態であり、地上にいるのは彼らにとって非常事態なのであって、違和感があるのも仕方ないのかもしれない。『スカイ・クロラ 』のCGと作画で天と地を描き分けた演出を思い出す。部族が異なるキャラクターたちが力を合わせて聖地を目指すそうだ。ここで、はたと気づく。漫画「ナウシカ 」7巻のストーリーを押井守の世界観とキャラクターでやろうとしているのではないかと。そう思ってからは、その見方でしか映画を観ることができなくなった。聖域の森に入ると、墓守のヒドラが彼らの前に立ちふさがるのにも納得できた。心臓部で「ナウシカ」同様、世界の秘密を知ることになるのだが、決着のつけ方は異なる。ここがこの作品の肝であり、押井守が宮崎駿と対峙する場面でもある。「あんたはナウシカという小娘に世界を託すことができたかもしれないけど、オレにはできないし、オレがナウシカをやったら当然こうなるよ」。巨神兵とヒドラの大群が復活して物語は終わる。 エンドロールが始まり映画の余韻に浸っている間、押井監督は帽子を被り、そして劇場が明るくなる。監督は席から立ち上がって、湧き起こった観客の拍手に答える。関係者(佐藤敦紀さん?)と握手して労をねぎらう押井監督の姿にジーンとくる。東京国際映画祭に来てよかったと思った。 関連当blog記事■帰ってきたアリス ティム・バートン監督『アリス・イン・ワンダーランド』 ■アメリカ版もののけ姫 ジェームズ・キャメロン監督『アバター』 ]]>
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2015-02-28T21:34:35+09:00
紫の豚
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■まだ風は吹いているか 長篇引退作品 宮崎駿監督『風立ちぬ』
『スタジオジブリ絵コンテ全集19 風立ちぬ』【c26】より 劇場公開:2013年7月20日(土) 制作期間:2011年7月6日~2013年6月19日 上映時間:126分35秒14コマ 作画枚数:161,545枚 堀越二郎と堀辰雄をごちゃまぜにして、 零戦という神話と化した飛行機の誕生をたて糸に、 美しい飛行機づくりに熱中する青年技師と 薄幸の少女との出会いと別れをよこ糸に、 完全なフィクションとして1930年代の青春を描く
『スタジオジブリ絵コンテ全集19 風立ちぬ 』【c26】より 劇場公開:2013年7月20日(土) 制作期間:2011年7月6日~2013年6月19日 上映時間:126分35秒14コマ 作画枚数:161,545枚 堀越二郎と堀辰雄をごちゃまぜにして、 零戦という神話と化した飛行機の誕生をたて糸に、 美しい飛行機づくりに熱中する青年技師と 薄幸の少女との出会いと別れをよこ糸に、 完全なフィクションとして1930年代の青春を描く。 宮崎駿『風立ちぬ 』中間報告より 漫画版『風立ちぬ』 連載第8回より 「映画をつくるとき、たいてい一人か二人の親しい知人を念頭に置きます。『風立ちぬ』のときは、一人の少年でした。その人が誰かは言えません。わたしが彼のために映画をつくったことを彼自身知らないからです。でも、彼は映画を観てとても気に入ったと言ってくれました。彼は14才の少年です」 (Thompson on Hollywood 「Miyazaki Talks Retirement, Oscars, True History in 'The Wind Rises'」 2014/2/14 より 日本語翻訳) 『パンダコパンダ 』や『アルプスの少女ハイジ 』をつくっていた頃は息子たちに見せるために仕事をしていたと宮崎駿は言っています。『魔女の宅急便 』はキキと同年代だった鈴木敏夫の娘(麻実子さん)のための映画だという押井守の証言があります。そして、有名な話ですが、『千と千尋の神隠し 』の千尋は、長年スタジオジブリと関わってきた日本テレビ映画事業部のプロデューサー奥田誠治の娘の千晶さんがモデルで、彼女のための映画ともいえるでしょう。ここ最近になって明らかになったことですが、元ピクサー堤大介の妻の芽以(めい)さんは宮崎駿の姪っ子で、『となりのトトロ 』のメイのモデルだというではないですか。宮崎駿の映画には、膨大な製作費・多数のスタッフ・長期の制作期間をかけた反面、プライベート・フィルムとしての側面があることが隠されているのです。 「『風立ちぬ』は大人の映画という見方があったようですけど、ぼくに言わせればそれは嘘っぱち。一人のヒーローがいて、それを支えるヒロインがいて……。少年が観てこそ意味がある映画なんです」(『仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場 』)と、このように鈴木敏夫がいうのは、上に引用した宮崎駿の海外インタビューで言及されている少年の存在を知っていたからではないでしょうか。『風立ちぬ』の初めに登場する少年期の堀越二郎は13才、宮崎駿が映画のターゲットにした少年の面影が投影されていたとしても不思議ではないでしょう。 「『風立ちぬ』は宮崎さんなりの“『君たちはどう生きるか 』(吉野源三郎著)”ですね?」と、宮崎駿を追い続けて7年の間ドキュメンタリーを撮ってきた荒川格が宮崎駿に訊ねたことがあったそうです(『風立ちぬ』NHKドキュメンタリーBD ・DVD 封入特典ブックレット「ディレクター・インタビュー」)。『君たちはどう生きるか』は日本で軍国主義の勢力が日ごとに強まっていった昭和12年(1937年)に出版された「人生読本」です。本の中で、著者の吉野源三郎は叔父さんの姿を借りて、次の時代を背負うべき少年少女の一人であるコペル君に対して「人間らしく立派に生きよう」と切実に語りかけ、未来へ希望を託しました。 「3月11日のあとに 子どもたちの隣から」(『本へのとびら 岩波少年文庫を語る 』)という文章のなかで、宮崎駿は「おそろしく轟轟と吹きぬける風」、「死をはらみ、毒を含む風」、「人生を根こそぎにしようという風」、がついに吹き始めたと語っています。『風立ちぬ』はそうした「風」が吹き始めた時代の映画として意識してつくられています。現在の状況は終わりが始まったばかり、ナチス侵攻前後のオランダを描いた連作『あらしの前 』『あらしのあと 』の『あらしのあと』に出てくる「正常にもどるんだ」「もとにもどるんだ」という言葉が本当に意味を持つのはまだまだこれからだ、ということも語っています。『風立ちぬ』制作の間、宮崎駿の作業机にはずっと、朝日新聞(2011年5月1日朝刊)に掲載されたジャーナリスト佐々木俊尚の『あらしの前』『あらしのあと』の書評 の切り抜き が貼られていました。この連作を翻訳したのが前に述べた『君たちはどう生きるか』の吉野源三郎です。 漫画版『風立ちぬ』連載第2回より 堀越二郎の生涯の仕事を、映画に登場しませんでしたが東大航空科の同窓生である木村秀政が評して、「一番油ののった、充実した時期は(初めて設計主任を務めた)七試艦戦の着手からゼロ戦完成までのおよそ10年間ではなかったろうか」と言っています(「ゼロ戦設計者 堀越二郎の生涯」『航空ジャーナル 1982年4月号』)。 宮崎駿は自身の「創造的人生10年」について、映画公開から1年経った『熱風 2014年7月号』掲載のインタビューで次のように語りました。 「僕は「君の持ち時間は10年だ」みたいな話を、つい「風立ちぬ」の中で言っちゃったけど、自分自身の持ち時間というのは、実は40代なんですね。30代の終わりごろから40代の終わりごろまでの10年です。そこでの作品は明瞭に自分の中でつくりたかったものがあって、つくったものです」 『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 』に収録されている渋谷陽一による(2001年11月の)インタビューで、「カリオストロ 」(1979年)と「ナウシカ 」(1984年)と「ラピュタ 」(1986年)と「トトロ 」(1988年)の4本の映画をつくって、「ある時期までやりたいと思ってたことに一応全部手を出せたっていう感じがあった」「ここまでやれたらいいやっていうふうにそんとき密かに思いました」と宮崎駿の心情が吐露されています。映画監督デビュー作となった『ルパン三世 カリオストロの城』に着手したとき、宮崎駿は38才。スタジオジブリの代表作となった『となりのトトロ』を完成させたとき、宮崎駿は47才でした。 『スタジオジブリ絵コンテ全集19 風立ちぬ』【c1351】より 「本当は零戦による重慶爆撃を描こうとしたんです。でも、うまく表現できなかった」 (「上野千鶴子×鈴木敏夫 対談」『AERA 2014年8月11日増大号 』) 中国大陸、本庄の飛行機(九試中攻)が中国軍のソ連製の戦闘機(ポリカルポフI-15)に襲われ、火を噴いて墜落していくシーンが、二郎と本庄の予感として本編では描かれました。『風立ちぬ』完成報告会見で、宮崎駿が二郎の飛行機と中国の飛行機との空中戦を描く覚悟を持って映画づくりに挑んでいたことが明かされましたが、試行錯誤の末、『風立ちぬ』企画の提案者・鈴木敏夫がどう表現されるか興味があった零戦の空中戦は描かれず、最終場面、二郎とカプローニの"夢の王国"に零戦の群が現れて大空に吞み込まれていく表現となりました。 漫画版『風立ちぬ』は全9回で連載が終了しましたが、宮崎駿によると「事実上未完」であり、ジブリ美術館短編映画 の作業のために漫画連載を切り上げざるをえず、「挫折」を味わったそうです(『スタジオジブリ絵コンテ全集19 風立ちぬ』月報)。そして、そのためか連載当時『月刊モデルグラフィックス』の担当編集だった方によれば 、単行本は宮崎駿によって続きが描かれるまで出版されないそうです。 漫画そして映画でも描かれなかった零戦開発を含む昭和の10年間は大変中身があると宮崎駿は言ってはいますが、2015年2月16日公開のTBSラジオ『荒川強啓 デイ・キャッチ! 』ポッドキャストにて、映画をつくり終えて「零戦の呪縛から完全に解放」されて「いまはもう零戦どうでもいい!」「もう零戦の本を見なくてもいい人間になった」との宮崎駿の発言があり、引退記者会見 のときに言っていた「やらない自由」もあることを思うと、その10年間が漫画で描かれる保証はどこにもありません。 続きが『月刊モデルグラフィックス』で再び連載されるのか、単行本描き下ろしで出されるのかわかりませんが、とにかく宮崎駿がやる気になるまで待つしかないようです。 まだ「風立ちぬ」は終わっていないのです。 追記. 漫画版『風立ちぬ』全9回が収録された、単行本『風立ちぬ 宮崎駿の妄想カムバック』 が発売されました。ただし、残念ながら『風立ちぬ』描き下ろし漫画が付かない「未完」のままの出版となりました。 戦国時代マンガ『鉄炮侍』 を描き終えた上で、大幅に描き足された『風立ちぬ』を同時収録する、というのが宮崎駿本人の要望だったそうです。 前提の『鉄炮侍』が連載無期限延期となり、単行本出版の無期限延期も危惧したモデルグラフィックス編集部が宮崎駿に懇願して、どうにか『風立ちぬ』単独の出版許可をもらった、というのが事の真相だそうです。 出版経緯に宮崎駿がどこか納得していないところがあるためか、単行本出版に当たっての宮崎駿の新規のコメントはありませんでした。 『鉄炮侍』と完結した『風立ちぬ』が収録された、宮崎駿が当初望んだ通りの形での単行本出版がされる日が来るのを切に願います。(2015/10/6) 関連当blog記事■堀辰雄の関東大震災 室生犀星『母』 ■宮崎駿『風立ちぬ』試論1.0 ■巨匠の力業 ジブリ美術館短編映画 宮崎駿監督『パン種とタマゴ姫』 ■若者たちへの応援歌 宮崎駿『風立ちぬ』 ■児童文学のススメ 「宮崎駿が選んだ50冊の直筆推薦文展」 ]]>
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2015-02-23T00:53:42+09:00
紫の豚
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■立原道造 『鉛筆・ネクタイ・窓』
鉛筆・ネクタイ・窓立原道造Ⅰ 僕は、自分のかんがへを色鉛筆で辿らうとする。あの黑い線を紙の上にのこしてゆく普通の鉛筆がなんとなくきらひなのだ。黑い字でかんがへた思想と綠の字や靑い字でかんがへた思想とは自然にどうしてもちがつてゐるやうにおもはれる。ひとはよく、ペンと毛筆とで書かれた文章のそれぞれの微妙なちがひを言ふことがある。それとおなじやうなことなのだ。 鉛筆が白い紙の上を滑つてゆくときにはいいか
鉛筆・ネクタイ・窓 立原道造 Ⅰ 僕は、自分のかんがへを色鉛筆で辿らうとする。あの黑い線を紙の上にのこしてゆく普通の鉛筆がなんとなくきらひなのだ。黑い字でかんがへた思想と綠の字や靑い字でかんがへた思想とは自然にどうしてもちがつてゐるやうにおもはれる。ひとはよく、ペンと毛筆とで書かれた文章のそれぞれの微妙なちがひを言ふことがある。それとおなじやうなことなのだ。 鉛筆が白い紙の上を滑つてゆくときにはいいかんがへがひとりでにながれ出る。それがためらひがちな足どりをするときには、かんがへが滑らかにながれ出ないのだらうか、それともすべりのわるい鉛筆がかんがへを妨げてゐるのだらうか。小學生のたどたどしい數字が西洋半紙のうへにごしごしと押しつけられてゐるのを見ると、小學生の頭のなかで組み立てられてゐる算術の世界が可愛らしい建築のやうに眼に浮ぶ。まちがへられた計算の途中で、算用數字はちひさい穴になつて、その計算ちがひの穴のあちら に、算術よりももつとひろい世界に桃の花が咲いてゐたりトンボが飛んでゐたりするのが見えるやうだ。 よく切れるナイフで鉛筆を削るのはなんとうれしいのだらう。色鉛筆の赤い粉の散るのがうれしくて草にねて削つたといふ昔のひとの心ばえがしのばれる。削らないままの鉛筆を二本ほど机の上にのせたままおいて幾週間か過ぎたら、それにナイフをあてるのがむごいやうな氣がして、たうとう削らないままになつてしまつた。削らない鉛筆は、ともらない洋燈のやうにかなしい。しかし本をよんだり物を書いたりするのに疲れた眼を、その二本の鉛筆の上にひよつとおとすと心はなんとなくあたたかくなるのだ。「駒込ロンドン」といふ隨筆のなかで、若い日の室生さんが西洋蠟燭を二本宛靑木堂で買はれて部屋に飾られて貧乏除けの咒(まじな)ひにされてゐたことを讀んだ。僕の二本の鉛筆もさういふ氣持を、氣持の奥にひそめてゐるのではなからうか。だからその鉛筆はムーンスターやトンボではいけなくて舶來のお城のしるしのついた鉛筆なのだ。「バヷリヤでつくられた」とちひさい金文字がちりばめられてゐた。とほいとほい國、はるかな海のあちら、そして何にとも知れない郷愁。そんな心のありどころが、僕には二本の鉛筆をぼんやり見てゐるときに、それをとほりこして自分ながら、かなしくなつかしいのだ。 Ⅱ 僕は夜店のやうなところで一本金二十錢也のネクタイを買つてはしめることにしてゐる。上等のきれいなネクタイをきちんとしめてゐることは僕にもずつとうれしいことだが、あのだれもかれもがしめてゐるなんの人生へのフアンシイもないやうなありきたりのネクタイだけはどうしてもきらひなのだ。それよりも身ぎれいな人びとは輕蔑して見かへりもしないやうな金二十錢也のネクタイからあはれな一本をえらび出して身につけることはどんなにかなつかしいことだらう。だがそれらはすぐにしわだらけになつてしまふ。或るひとつははじめてそれをつけたときには友人たちがじつにいいネクタイだとほめてくれた。ピカソの繪のやうな色の調子だなどと言つて。それが次の日には、すつかりしわだらけになつてしまつた。そしてやがてよれよれになつてだれも見かへらなくなり、そのときはじめて僕はしみじみとそのネクタイを愛するやうになつた。だがどうしてこんなにはかなくそれらはしわになつてしまふのだらうか。安物の人絹だからなどといふ理由はたいへんに無意味である。僕は何かしらもつとあはれなはかない理由のことをかんがへてゐる。そしてそれを結ぶとき、その理由の世界へなつかしさを感じながら、いつもそのよれよれを襟に飾つて街を歩きまはる。 そして僕のけふのひとつのねがひは、東京でなく、コペンハーゲンやプラーグやストツクホルムやオスローやウヰンで、そんなネクタイを手にいれてそれを飾りたいといふことだ。 Ⅲ 僕は、窓がひとつ欲しい。 あまり大きくてはいけない。そして外に鎧戸、内にレースのカーテンを持つてゐなくてはいけない、ガラスは美しい磨きで外の景色がすこしでも歪んではいけない。窓臺は大きい方がいいだらう。窓臺の上には花などを飾る、花は何でもいい、リンダウやナデシコやアザミなど紫の花ならばなほいい。 そしてその窓は大きな湖水に向いてひらいてゐる。湖水のほとりにはポプラがある。お腹の赤い白いボオトには少年少女がのつてゐた。湖の水の色は、頭の上の空の色よりすこし靑の强い色だ。そして雲は白いやはらかな鞠のやうな雲がながれてゐる、その雲ははつきりした輪廓がいくらか靑に溶けこんでゐる。 僕は室内にゐて、栗の木でつくつた凭れの高い椅子に坐つてうつらうつらと睡つてゐる。夕ぐれが來るまで、夜が來るまで、一日、なにもしないで。 僕は、窓が欲しい。たつたひとつ。…… ……僕が、「窓のないモナド」といふことをかんがへてゐたとき、心の裂目に浮んだ夢のやうなねがひだ。論理や思考の石だたみのあひだに雜草が芽生えるやうにこのやうなフアンシイは勢よく伸びる。僕の心は、かへつてほかの場合とおなじやうにこのやうな雜草の方に强く惹かれる。 僕があの鐵道草の白い花を愛するやうに。 底本:『立原道造全集 第6巻 雜纂』 角川書店 258-260頁 1973(昭和48年)年7月30日初版発行 入力:紫の豚 2013年8月4日作成 ]]>
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2013-08-04T12:00:00+09:00
紫の豚
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