○戯論遊戯○

無知蒙昧な人間が記す、ブログ。日々勉強。

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■人体小宇宙への冒険 『学習まんが・人間のからだシリーズ① 食べ物のゆくえ 消化と吸収』


学習まんが・人間のからだシリーズ① 食べ物のゆくえ 消化と吸収
監修・指導/中野昭一 漫画/井上大助

 1985年~1986年に出版され、現在では絶版になっている学習まんが「人間のからだシリーズ」(全8巻)の第1巻『食べ物のゆくえ 消化と吸収』。シリーズ全体にもいえることであるけれど、欄外に豆知識が書いてあったり、合間に身体の機能を説明する図解が入っていたり、巻末には本編の補足事項が記載されていたりと、きっちり学習まんがとしての体裁が取られているが、なにより漫画としてとても面白い。

 好奇心旺盛な宇宙人ピポパ、面白いことが好きな少年ロップ、可愛くて頭もいいアヤ、メガネっ娘のサッチン、天才科学者で解説役でもある神田博士、その博士がつくったロボットのチョンボ8世。どれも魅力的なキャラクターでとても生き生きしている(第1巻では出番が少ない乱暴者だが気の優しいボテボテもいいキャラクターだ)。「学習まんが」の響きから想像する品行方正であるが人格が漂白されているような人物たちではない。

 神田博士が発明した目覚まし時計型のタイムマシン・タイミーくんと地球人の身体を調べる目的でピポパが乗ってきた拡大縮小自在な宇宙船ポシェット号を利用して、30年前の若くて健康な神田博士の身体のなかに口から入っていく。歯に挟まれた衝撃で故障したポシェット号から降りて、生身で体のなかを探検しに行くことなるのだが、胃酸など危険なものから身を守るため、ピポパの万能銃から放出した透明な薄い膜(ガード・スール)を着けるという描写をページを割いて丁寧にしているので、大人も納得できるし、子どもは「これで安心だ」と読み進めていくことができる。登場する様々なメカニックのアイディアやデザインも愉快で楽しい。



 通ってきた食道から落ちて、胃の入り口である噴門を見上げるピポパたち。これは顕著な例であるが、とてもリアルな描写で恐怖すら感じる。類書である『学習まんが ドラえもんからだシリーズ① 食べ物の消化』のデフォルメされたツルツルてんとした体内の描き方とはまるで印象が異なる。咀嚼された食べ物もマンガチックにして誤魔化さずに、ちゃんとそれっぽく見せている。「正確に描くために、数多くの医学資料に取り組んだ」と漫画家・井上大助氏の紹介欄にあるので、その成果かもしれない。

 生身の肉体で探検するのがとてもいい。同じく類書である『ドラえもん・ふしぎ探検シリーズ⑥ からだ大探検』ではカプセルに乗って体内を探検していたが、それでは中に居ながらどこか外から眺めているような感覚が拭えない。ポシェット号の故障で前もってその可能性を潰しておいて、自分の足で体内をあちこち探検するという状況をつくり出しているのも、この漫画の上手いところである。こちらの方がより、対象読者である少年少女たちが体内の冒険にドキドキワクワクするし、キャラクターたちを通して仮想体験の実感が強いものになって、よく記憶に刻まれると思う。



 十二指腸で、膵液と胆汁が混じった液体を浴びてしまうロップ。ウンコ色・汚い色と周りに揶揄されるが、胆汁に含まれている壊れた赤血球由来の色素が実際ウンコの色になるんだと神田博士に明かされ、衝撃を受けるロップのシーン。子どもにもわかりやすいようにフルカラーで解説。実はこれには伏線があって、ポシェット号で冒険をする日の朝、ロップがトイレで大便をしているところをピポパに覗き見される。そのときにピポパが見た、まさしくロップのウンコそのものもフルカラーで描かれる。これをピポパは憶えていて、「いやあねえ。ロップったら、今朝見たうんこと、同じ色になっているわよ」とピポパは笑う。両シーンともに貴重なカラーページを使用することで、モノクロの絵や文字だけの説明の何倍も強く印象づくし、その結果、知識の吸収を助けることにもなる。

 食べ物が口から入って、消化・吸収され、そして残りかすが肛門から出る。小腸の絨毛から毛細血管に入って肝臓まで寄り道したのを除けば、ピポパ一行もだいたいそのような行程を垣間見ながら辿って、冒険を終える。最初から最後まで物語に筋が通っているため、間に解説や図解が挟まれても、ストーリーがあっちこっちと細分化されることはないし、(身長の5倍くらいの長さがある)小腸を歩いて疲弊するピポパたちの表情だったり、血管のなかで見つけた赤血球で遊ぶ彼らが本当に楽しそうに思えるぐらいに、キャラクターの感情表現が豊かなので、興味が持続して飽きない。だから、何度も繰り返しまた彼らと一緒に冒険に出てみようかと思わせるのだ。



 同シリーズ別の巻のページだが、お色気シーンもある。たびたびアヤちゃんがその役目を負うことになるのだけれど、その俗っぽいところも含めて、漫画としての魅力になっている。続巻で描かれる、心臓に突入する張りつめた息をのむ一瞬、背が縮んだと勘違いして嘆き泣くサッチン、チョンボ8世の美味しそうな料理、生命の連なりに想いを馳せ感動するロップ、など紹介したい見所は沢山あるが挙げていくとキリがないので、どこかでこのシリーズの本を見つけたら、とにかく各自、手に取って読んでみてほしい。大人が読んでも面白く、そしてためになる漫画であると思う。



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  1. 2015/04/19(日) 20:51:12|
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■若者たちへの応援歌 宮崎駿『風立ちぬ』


宮崎駿『風立ちぬ』
 掲載誌:月刊モデルグラフィックス 
 連載期間:2009年4~9月号・11~12月号、2010年1月号(全9回)


   日本の少年よ
   創造的人生の持ち時間は10年だ。
   芸術家も設計家も同じだ。
   君の10年を力を尽くして生きなさい

    宮崎駿『風立ちぬ』第2回より 
    ジャンニ・カプロニーの言葉

 宮崎駿が長編映画をつくっていない時期に何をしているかご存知でしょうか。次回作の構想を練っているのも確かですけれど、古くは『風の谷のナウシカ』のマンガ版をアニメージュ誌で連載していたり、かたやプラモデル系の雑誌で飛行機や軍艦、戦車を存分に出したマンガを色々と描いています。前者のマンガ版「ナウシカ」は、映画版の公開から10年経った1994年まで連載が続けられ、後者の雑誌「月刊モデルグラフィックス」で描かれたマンガ『飛行艇時代』は長編映画である『紅の豚』の萌芽となりました(『飛行艇時代』は単行本『宮崎駿の雑想ノート』に収録)。
近年、ジブリ美術館が開館してからは、短編映画の制作に乗り出すなどますます多忙を極めており、宮崎駿を長編アニメーションの作家としてのみ捉えると見誤る…というよりか、それだけでは実に勿体無いのではないかと私は思います。

 『崖の上のポニョ』公開からしばらく経ったあとに、長編映画の公開に比べればだいぶひっそりと、宮崎駿の新連載が月刊モデルグラフィックスで始まりました。それが、零戦の設計主任技師を務めた堀越二郎を主人公としたマンガ、『風立ちぬ』です。マンガの題名は、『風立ちぬ』や『菜穂子』といったサナトリウム文学の名作を書いた堀辰雄の同名の小説からきています。そのこともあってか、昭和初期の同時代に新進気鋭の文学者であった堀辰雄が、日本航空技術の黎明期に奮闘した堀越二郎の飛行機づくりに対する姿勢に影響を与える場面が描かれています。


  三菱の九試単座戦闘機 試作一号機

 堀越二郎は零戦の設計者として有名ですけれど、『風立ちぬ』では零戦の設計まで話は続きません。物語の大方は、二郎が三菱飛行機工場の設計技師として入社してから九試単戦の設計を成し遂げ、その飛行実験が成功するまでです。『風立ちぬ』の第1回の最初で、イタリアの航空機メーカー・カプロニー社の伯爵ジャンニ・カプロニーに「いいかね ヒコーキは戦争や経済の道具ではないのだ」「それ自体が夢の結晶だ 美しくあらねばならん」と少年期の堀越二郎に対して語らせているように、宮崎駿の関心は機能の洗練の徹底化と戦争の悲劇にまみれた零戦ではなく、日本で複葉機が主流であった時代に低翼単葉の飛行機を確立せしめた九試単戦、特に戦闘用の装備がほとんどされていない試作1号機にあったようです。この飛行機のことを作中で宮崎駿は「日本でいちばん美しいヒコーキだ」と語っています。

 ところで、宮崎駿が『風立ちぬ』の連載をしている頃、スタジオジブリでは新人監督による長編映画の準備を含めた制作がおこなわれていました。身近で起こっている事物に影響されやすいといわれている宮崎駿ですが、それが『風立ちぬ』でもあらわれているように私には思われました。例えば、七試艦戦の設計主任として初めて飛行機の設計に抜擢された堀越二郎のことを「まあ新人監督と同じだな」とフキダシで語ったり、自社のエンジンではなく他社のものを使いたいと会社の会議で二郎が言って、すげなく会社の重役に断られる場面では「まあ新人によくあることだ」と述べたり、またことあるごとに飛行機の設計を長編アニメーションの制作になぞらえて解説したりするので、このマンガを通して映画監督としての心得を説いているような気がしました。それが顕著だと思ったのが次の場面です。

 七試艦戦の設計を終え、夜中にその機体の前で
 一人たたずんでいる堀越二郎を
 背後からジャンニ・カプロニーが問いかける。
   「どうかな 君の最初のヒコーキは」
 二郎はポツリと答える。
   「……みにくい アヒルの子でした」
 努力を尽くし、自分のできる限りのことは果たしたが、
 会社の事情、自国の工業技術水準の低さ、戦闘機乗りたちの
 要求に引きずられて、二郎が当初思い描いていたものとは
 遠く離れた飛行機が目前にはあった。
   「原因はなんだね おろかなスポンサーの軍人共か
   会社の重役か それともパイロット達か
   君の国の技術水準かな」
 唇を噛み締めたあと、二郎は毅然として答える。
   「いえ… 原因は自分の力の不足です」
   「よし それでいい では胸をはって進め」
  (『風立ちぬ』第4回より 地の文は筆者による補足)

 宮崎駿の『風立ちぬ』は、スタジオジブリの若手監督たちに向けられたエールなのかもしれません。

  

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  1. 2010/11/10(水) 02:26:11|
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■美少女戦士×戦争マンガ 会田誠『ミュータント花子』


 会田誠『ミュータント花子

   1965年日本一つまらない町といわれる新潟市に生まれる。
   美術大学を出たのに絵はド下手。頭も良くないので、せめて
   なけなしのサービス精神を絞り出し、なんとか命脈をつないで
   いる現代美術家。感性は古臭いが、気が多く飽きやすいところ
   だけは現代人してるので、作風はどれもバラバラで中途半端。
   こんな皮かぶりのロリコン野郎なんてすぐに消えるとは、
   美術界のもっぱらの噂。本書は'97年にこのバカが
   描いてしまった糞マンガ。愚かな作者を蔑むには
   もってこいのレアな一冊だ。
    『作者自己紹介(『夕刊ゲンダイ』風に…)』より

 『ミュータント花子』は、現代美術家である会田誠が描いた世にも奇妙な戦争マンガである。天皇陛下から啓示を受けたひめゆり学徒隊の花子と特攻隊の純一が、力を合わせて悪魔の国・アメリカに立ち向かう話で、舞台の設定が太平洋戦争(or大東亜戦争)末期の日本であったり、原爆による花子のミュータント化など題材の取り扱い次第では悲壮感漂う作品になりそうなものだが、この『ミュータント花子』はそういう類の作品ではない。まるで下書きであるかのようなラフな絵柄をはじめとして、マッカーサー元帥やアメリカ兵が鬼のキャラクターとして描かれたり、ミュータント化した花子が竹やりから発する稲妻で敵をバタバタと倒していくなど作品全体が荒唐無稽さにあふれたマンガになっている。その他に物語の各所にあからさまな凌辱シーンが配置されたりと、人によっては低俗の極みと思われても仕方がない作風なのだけど、それは作者の会田誠があとがきで述べている「エロも含めた広い意味での“下品さ”こそ、マンガの武器であり神髄である」という信条の反映であるようだ。マンガ本に使われている紙の質の悪さもまたマンガの滑稽さを増すのに貢献しているのをみると、作者の狙いはある意味で徹底しているといえるだろう。戦争の敗戦から生まれた日本のポップカルチャー的な想像力を存分に利用して、アメリカとの戦争の敗戦を改変していく様は、マンガの戯画としての側面を真面目に踏襲していて、私としては評価したい。会田誠の『ミュータント花子』は豊かなマンガ文化が栄える日本が生み出した見事な一本糞である。



 フランスで出版されているフランス語版『ミュータント花子』。
日本語版とは違い、マンガの全ページが総天然色のカラー。
紙質も良くなっているが内容の下品さには変わりはない。
会田誠の代表作が何点か掲載されていて、ミニ画集の役目も兼ねている。
ただし、もちろん台詞や解説はフランス語なので注意。
フランス語版の出版社である「LE LEZARD NOIR」のサイト(http://www.lezardnoir.org/)で問い合わせると購入できる。
日本語でのやり取りも可能なので、興味がある方はどうぞ。



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  1. 2010/11/01(月) 18:59:11|
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■見世物小屋ファンタジー 大越孝太郎『天国に結ぶ恋(1)』&丸尾末広『少女椿』


  大越孝太郎『天国に結ぶ恋(1)』      丸尾末広『少女椿

 見世物小屋は昔の人たちにとっては娯楽の一種だったのだろうか。私は推測するしかないのだが、私たちにとっての映画鑑賞やゲーム体験など普通ではありえないことを経験する場として、見世物小屋はその当時機能していたのだろうと思う。娯楽の多様化そして異常なものは排除し汚いものにはフタをする風潮がある世の中では、見世物小屋は衰退していくしかなかったが、見世物小屋がまだ人々の生活の身近にあった時代を想起するのに助けとなる良質なマンガは2冊もある。それが、大越孝太郎の『天国に結ぶ恋』と丸尾末広の『少女椿』である。

『天国に結ぶ恋』は、男女のシャム双生児である虹彦とのの子が、幽閉されていた家から関東大震災のイザコザで外に飛び出て、衆人の目に触れられたところを目につけられ見世物小屋に連れ込まれてしまう話。

『少女椿』は、父が蒸発してしまった家庭で、病気の母を助けるため 夜中路地裏で花売りをしていたところを山高帽をかぶった親切なおじさん に騙され、見世物小屋で芸人をやることになってしまった少女・椿の話。

 両作品とも、見世物小屋を舞台にしたマンガであるのだが、主人公の境遇はというと非常に対照的だ。虹彦とのの子はシャム双生児で元々身体的には見世物小屋側の人間であるのに対して、椿はふつうの女の子である。その境遇の違いが、見世物小屋での扱いにも反映される。虹彦とのの子はその男女のシャム双生児という存在の珍しさから、見世物小屋において丁重に扱われ、芸の内容としても二人で楽器を奏でながら歌を唄ったり、タップダンスをするぐらいで、行う芸としてみると過酷さを感じられない。翻って、椿の方は、なんの変哲もない女の子であるから、生きている鶏の首を食い切る芸をやらされるなど必然と過酷になり、見世物小屋での扱いも他の芸人から疎んじられ、あまつさえ小屋の芸人であるミイラ男にレイプされてしまうといったように酷いものである。

 両作品を読んでみると、見世物小屋では世間での価値観とは逆になっていることがわかる。姿が異質であればあるほど重宝されるのだ。だから、同じ見世物小屋を舞台にしていても『天国に結ぶ恋』と『少女椿』の作品のトーンは異なる。前者は、主人公たちが異質であることからも差別される見世物小屋側の人間たちに寄り添って物語が描かれるのに対して、後者はふつうの女の子の視点で物語が描かれ、その「ふつう」さにより、世間から差別されている人間たちに差別されるという構造になっている。ふつうとは?異質とはなんだ?といったようなこと念頭において読んでみるのも、この2冊のマンガの楽しみ方の一つだといえる。


 紹介した大越孝太郎の『天国に結ぶ恋』については、現在絶版で入手困難になっているみたいですが、マンガとしての素晴らしさ(表紙だけをみてもその魅力がわかります)とそのテーマの類のなさを考えると、興味を持たれたのなら、多少値が張っても手に入れられることをおすすめします。

    

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  1. 2010/04/16(金) 19:03:56|
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