○戯論遊戯○

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■ナウシカとガルムとファンタジー 押井守監督『GARM WARS The Last Druid』


 2014年10月25日六本木・東京国際映画祭『GARM WARS The Last Druid』ワールド・プレミア上映。関係者席とおぼしき列のど真ん中の席が空いており、「もったいないなあ」と思っていたら、舞台挨拶が終わると押井監督が上がってきて、その席に座る。観客と一緒に映画を観るそうだ。劇場が暗くなり、押井監督が帽子を脱ぎ、映画上映が始まる。
 監督のアドバイスに従い、字幕は目の端で捉えて、画面に集中することに。川井憲次の音楽が鳴り響く。ファーストカットの映像から震える。素晴らしい。美しい。ブロマガを購読しているから、「GARM WARS」制作の窮状はわかっていた。期待値はそんなに高くなかった。押井監督やるじゃん、と思っていた時間が過ぎ、登場キャラクターが地面に堕ちると、画面のテンションと時の流れが変わる。彼らにとって空で戦争をしているのが常態であり、地上にいるのは彼らにとって非常事態なのであって、違和感があるのも仕方ないのかもしれない。『スカイ・クロラ』のCGと作画で天と地を描き分けた演出を思い出す。部族が異なるキャラクターたちが力を合わせて聖地を目指すそうだ。ここで、はたと気づく。漫画「ナウシカ」7巻のストーリーを押井守の世界観とキャラクターでやろうとしているのではないかと。そう思ってからは、その見方でしか映画を観ることができなくなった。聖域の森に入ると、墓守のヒドラが彼らの前に立ちふさがるのにも納得できた。心臓部で「ナウシカ」同様、世界の秘密を知ることになるのだが、決着のつけ方は異なる。ここがこの作品の肝であり、押井守が宮崎駿と対峙する場面でもある。「あんたはナウシカという小娘に世界を託すことができたかもしれないけど、オレにはできないし、オレがナウシカをやったら当然こうなるよ」。巨神兵とヒドラの大群が復活して物語は終わる。
 エンドロールが始まり映画の余韻に浸っている間、押井監督は帽子を被り、そして劇場が明るくなる。監督は席から立ち上がって、湧き起こった観客の拍手に答える。関係者(佐藤敦紀さん?)と握手して労をねぎらう押井監督の姿にジーンとくる。東京国際映画祭に来てよかったと思った。



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  1. 2015/02/28(土) 21:34:35|
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■まだ風は吹いているか 長篇引退作品 宮崎駿監督『風立ちぬ』


スタジオジブリ絵コンテ全集19 風立ちぬ』【c26】より
 劇場公開:2013年7月20日(土)
 制作期間:2011年7月6日~2013年6月19日
 上映時間:126分35秒14コマ
 作画枚数:161,545枚

   堀越二郎と堀辰雄をごちゃまぜにして、
   零戦という神話と化した飛行機の誕生をたて糸に、
   美しい飛行機づくりに熱中する青年技師と
   薄幸の少女との出会いと別れをよこ糸に、
   完全なフィクションとして1930年代の青春を描く。

    宮崎駿『風立ちぬ』中間報告より


 漫画版『風立ちぬ』連載第8回より

 「映画をつくるとき、たいてい一人か二人の親しい知人を念頭に置きます。『風立ちぬ』のときは、一人の少年でした。その人が誰かは言えません。わたしが彼のために映画をつくったことを彼自身知らないからです。でも、彼は映画を観てとても気に入ったと言ってくれました。彼は14才の少年です」
Thompson on Hollywood 「Miyazaki Talks Retirement, Oscars, True History in 'The Wind Rises'」 2014/2/14 より 日本語翻訳)

 『パンダコパンダ』や『アルプスの少女ハイジ』をつくっていた頃は息子たちに見せるために仕事をしていたと宮崎駿は言っています。『魔女の宅急便』はキキと同年代だった鈴木敏夫の娘(麻実子さん)のための映画だという押井守の証言があります。そして、有名な話ですが、『千と千尋の神隠し』の千尋は、長年スタジオジブリと関わってきた日本テレビ映画事業部のプロデューサー奥田誠治の娘の千晶さんがモデルで、彼女のための映画ともいえるでしょう。ここ最近になって明らかになったことですが、元ピクサー堤大介の妻の芽以(めい)さんは宮崎駿の姪っ子で、『となりのトトロ』のメイのモデルだというではないですか。宮崎駿の映画には、膨大な製作費・多数のスタッフ・長期の制作期間をかけた反面、プライベート・フィルムとしての側面があることが隠されているのです。
 「『風立ちぬ』は大人の映画という見方があったようですけど、ぼくに言わせればそれは嘘っぱち。一人のヒーローがいて、それを支えるヒロインがいて……。少年が観てこそ意味がある映画なんです」(『仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場』)と、このように鈴木敏夫がいうのは、上に引用した宮崎駿の海外インタビューで言及されている少年の存在を知っていたからではないでしょうか。『風立ちぬ』の初めに登場する少年期の堀越二郎は13才、宮崎駿が映画のターゲットにした少年の面影が投影されていたとしても不思議ではないでしょう。
 「『風立ちぬ』は宮崎さんなりの“『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)”ですね?」と、宮崎駿を追い続けて7年の間ドキュメンタリーを撮ってきた荒川格が宮崎駿に訊ねたことがあったそうです(『風立ちぬ』NHKドキュメンタリーBDDVD封入特典ブックレット「ディレクター・インタビュー」)。『君たちはどう生きるか』は日本で軍国主義の勢力が日ごとに強まっていった昭和12年(1937年)に出版された「人生読本」です。本の中で、著者の吉野源三郎は叔父さんの姿を借りて、次の時代を背負うべき少年少女の一人であるコペル君に対して「人間らしく立派に生きよう」と切実に語りかけ、未来へ希望を託しました。
 「3月11日のあとに 子どもたちの隣から」(『本へのとびら 岩波少年文庫を語る』)という文章のなかで、宮崎駿は「おそろしく轟轟と吹きぬける風」、「死をはらみ、毒を含む風」、「人生を根こそぎにしようという風」、がついに吹き始めたと語っています。『風立ちぬ』はそうした「風」が吹き始めた時代の映画として意識してつくられています。現在の状況は終わりが始まったばかり、ナチス侵攻前後のオランダを描いた連作『あらしの前』『あらしのあと』の『あらしのあと』に出てくる「正常にもどるんだ」「もとにもどるんだ」という言葉が本当に意味を持つのはまだまだこれからだ、ということも語っています。『風立ちぬ』制作の間、宮崎駿の作業机にはずっと、朝日新聞(2011年5月1日朝刊)に掲載されたジャーナリスト佐々木俊尚の『あらしの前』『あらしのあと』の書評切り抜きが貼られていました。この連作を翻訳したのが前に述べた『君たちはどう生きるか』の吉野源三郎です。


 漫画版『風立ちぬ』連載第2回より

 堀越二郎の生涯の仕事を、映画に登場しませんでしたが東大航空科の同窓生である木村秀政が評して、「一番油ののった、充実した時期は(初めて設計主任を務めた)七試艦戦の着手からゼロ戦完成までのおよそ10年間ではなかったろうか」と言っています(「ゼロ戦設計者 堀越二郎の生涯」『航空ジャーナル 1982年4月号』)。
 宮崎駿は自身の「創造的人生10年」について、映画公開から1年経った『熱風 2014年7月号』掲載のインタビューで次のように語りました。
 「僕は「君の持ち時間は10年だ」みたいな話を、つい「風立ちぬ」の中で言っちゃったけど、自分自身の持ち時間というのは、実は40代なんですね。30代の終わりごろから40代の終わりごろまでの10年です。そこでの作品は明瞭に自分の中でつくりたかったものがあって、つくったものです」
 『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』に収録されている渋谷陽一による(2001年11月の)インタビューで、「カリオストロ」(1979年)と「ナウシカ」(1984年)と「ラピュタ」(1986年)と「トトロ」(1988年)の4本の映画をつくって、「ある時期までやりたいと思ってたことに一応全部手を出せたっていう感じがあった」「ここまでやれたらいいやっていうふうにそんとき密かに思いました」と宮崎駿の心情が吐露されています。映画監督デビュー作となった『ルパン三世 カリオストロの城』に着手したとき、宮崎駿は38才。スタジオジブリの代表作となった『となりのトトロ』を完成させたとき、宮崎駿は47才でした。


『スタジオジブリ絵コンテ全集19 風立ちぬ』【c1351】より

 「本当は零戦による重慶爆撃を描こうとしたんです。でも、うまく表現できなかった」
 (「上野千鶴子×鈴木敏夫 対談」『AERA 2014年8月11日増大号』)

 中国大陸、本庄の飛行機(九試中攻)が中国軍のソ連製の戦闘機(ポリカルポフI-15)に襲われ、火を噴いて墜落していくシーンが、二郎と本庄の予感として本編では描かれました。『風立ちぬ』完成報告会見で、宮崎駿が二郎の飛行機と中国の飛行機との空中戦を描く覚悟を持って映画づくりに挑んでいたことが明かされましたが、試行錯誤の末、『風立ちぬ』企画の提案者・鈴木敏夫がどう表現されるか興味があった零戦の空中戦は描かれず、最終場面、二郎とカプローニの"夢の王国"に零戦の群が現れて大空に吞み込まれていく表現となりました。

 漫画版『風立ちぬ』は全9回で連載が終了しましたが、宮崎駿によると「事実上未完」であり、ジブリ美術館短編映画の作業のために漫画連載を切り上げざるをえず、「挫折」を味わったそうです(『スタジオジブリ絵コンテ全集19 風立ちぬ』月報)。そして、そのためか連載当時『月刊モデルグラフィックス』の担当編集だった方によれば、単行本は宮崎駿によって続きが描かれるまで出版されないそうです。
 漫画そして映画でも描かれなかった零戦開発を含む昭和の10年間は大変中身があると宮崎駿は言ってはいますが、2015年2月16日公開のTBSラジオ『荒川強啓 デイ・キャッチ!』ポッドキャストにて、映画をつくり終えて「零戦の呪縛から完全に解放」されて「いまはもう零戦どうでもいい!」「もう零戦の本を見なくてもいい人間になった」との宮崎駿の発言があり、引退記者会見のときに言っていた「やらない自由」もあることを思うと、その10年間が漫画で描かれる保証はどこにもありません。
 続きが『月刊モデルグラフィックス』で再び連載されるのか、単行本描き下ろしで出されるのかわかりませんが、とにかく宮崎駿がやる気になるまで待つしかないようです。
 まだ「風立ちぬ」は終わっていないのです。

 追記. 漫画版『風立ちぬ』全9回が収録された、単行本『風立ちぬ 宮崎駿の妄想カムバック』が発売されました。ただし、残念ながら『風立ちぬ』描き下ろし漫画が付かない「未完」のままの出版となりました。
 戦国時代マンガ『鉄炮侍』を描き終えた上で、大幅に描き足された『風立ちぬ』を同時収録する、というのが宮崎駿本人の要望だったそうです。
 前提の『鉄炮侍』が連載無期限延期となり、単行本出版の無期限延期も危惧したモデルグラフィックス編集部が宮崎駿に懇願して、どうにか『風立ちぬ』単独の出版許可をもらった、というのが事の真相だそうです。
 出版経緯に宮崎駿がどこか納得していないところがあるためか、単行本出版に当たっての宮崎駿の新規のコメントはありませんでした。
 『鉄炮侍』と完結した『風立ちぬ』が収録された、宮崎駿が当初望んだ通りの形での単行本出版がされる日が来るのを切に願います。(2015/10/6)



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  1. 2015/02/23(月) 00:53:42|
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■魔術師の種明かし 三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー提供作品 シルヴァン・ショメ監督『イリュージョニスト』



   この作品はアメリカのアニメーションのように、
   観る人を先導してくれるものではない。
   遊園地のジェットコースターではないんだ!
   これは“個人旅行”なんです。

    『熱風』2011年2号 特集「イリュージョニスト」
    シルヴァン・ショメ監督 インタビューより

 ジブリ美術館のことをスタジオジブリのテーマパークのようなものだと認識している人がいるかもしれません。もちろん、そのような面が全くないとは否定できませんが、そもそも“ジブリ美術館”というのは通称であって、その正式名称を“三鷹市立アニメーション美術館”といいます。だから、ジブリ作品の世界を体験できる場であると同時に(というより、それを通して)アニメーションのルーツや制作工程を知ることができる美術館なのです。それに、企画展示として「ユーリー・ノルシュテイン展」、「ピクサー展」、「アードマン展」をおこなうことで、日本アニメとは違う手法や表現の、優れたアニメーションを紹介してきました。
 さらに、ジブリ美術館は“三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー”という名目で、世界の秀作アニメーションを日本で劇場公開(配給)、そしてビデオリリースをする新事業を2007年から始めています。その第一回提供作品に選ばれた『春のめざめ』は、『老人と海』でアカデミー賞を受賞した監督アレクサンドル・ペトロフの新作アニメーションでありましたが、監督の本国ロシアではその芸術性の高さゆえに劇場公開されていなくて、劇場公開そのものが日本で初でした。このようなメジャーな映画会社から配給されない良質なアニメーションを紹介したり、他国では大ヒットしているが日本がアニメ大国であるがゆえに知名度が低く配給されにくい作品、例えばミッシェル・オスロ監督の『アズールとアスマール』、を選んで劇場公開しています。『春のめざめ』はガラス板に直接油絵の具で描く印象派風の画面、『アズールとアスマール』は装飾的で平面的そして絵本のような色あざやかな画面で、両作品とも、日本のアニメ映画ではなかなかみられない独特のアニメ表現をしていて驚かされます。その他に、若き日の宮崎駿は言うに事欠かず、若者であった高畑勲にアニメ表現の大きさの可能性を示した『王と鳥』(正確にはその未完成版『やぶにらみの暴君』)、そしてアニメーションに込められた貫かれた想いと志の高さに宮崎駿が感動した『雪の女王』、といったような高畑・宮崎両氏が影響を受けた過去の知られざる名作アニメーションのリバイバル上映と再ソフト化もこのライブラリーではおこなっています。
 個々の作品のファンのなかには、“三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー”と冠が付くことを嫌う方もいるでしょうが、大規模ではないにせよジブリ美術館が配給することで、その作品に対する間口が広がってより多くの観客にみてもらえる可能性を考えれば、そう悪いことはないと私は思います(映画の公開と連動して、美術館でその映画についての展示がされることもあります)。



 2011年3月26日から日本で公開されるシルヴァン・ショメ監督の最新作『イリュージョニスト』を先行上映する、「三鷹の森アニメフェスタ2011」第二部の特別上映会に行ってきました。
 前作の『ベルヴィル・ランデブー』は、台詞が非常に少なく、極端な身体のデフォルメーションにも驚嘆しますが、それ以上にストーリー展開の奇天烈さは類をみない作品でした。それはたとえば自転車レースの特訓を過酷にこなしているかと思えば、肝心のレースはうまくいかない。おばあちゃんが孫の行方を追って“ベルヴィル”という巨大都市に着いたと思えば、なぜか三つ子の老婆姉妹の音楽バンドに参加したりと、観ている人の予想を裏切り続けるといったようにです。しかし、音楽や背景美術のデザインもとても洒落ていてイイし、次はどうなるんだと気になるので、最後まで意外な展開で観る人の心を掴んで離さない傑作アニメーションとして知られています。
 今回観に行った新作『イリュージョニスト』でも台詞の数が少なく、音楽や背景美術は洗練されていて前作の雰囲気を感じさせる部分もありますが、前作のような奇抜さは鳴りを潜めていて、シンプルなストーリーでしみじみとさせる味のある映画でした。
 『イリュージョニスト』の脚本は、フランスの喜劇王といわれたジャック・タチが娘に遺したシナリオをもとにしています。私はこの映画を知るまでジャック・タチのことは知らなかったのですけど、『熱風』にあった映画評論家・坂尻昌平の記事によると、「タチ映画の影響は大きく、ヌーヴェル・ヴァーグのゴダール、トリュフォーを始めとして、デヴィッド・リンチやティム・バートン、タルコフスキーやイオセリアーニ、ミスター・ビーン、そしてシルヴァン・ショメに至るまで、枚挙に暇がない」というように、映画業界人に与えた影響は少なくないようです。TSUTAYAのレンタルで借りたジャック・タチの代表作『ぼくの伯父さん』のDVDパッケージには“フランスのチャップリン”と書いてありましたが、ジャック・タチもチャップリンのように本人が主演して監督もやる人でした。だから、『イリュージョニスト』も元々は本人が演じるものとして構想されたので、主要キャラクターのタチシェフはジャック・タチにそっくりです(名前も)。台詞の少なさと基本パントマイムで演じるタチ映画のスタイルは『ベルヴィル・ランデブー』を観ても明らかで、シルヴァン・ショメにも受け継がれています。そのショメのタチへの敬愛は、『イリュージョニスト』のタチシェフの仕草や動きにしてもそうですが、人物の頭からつま先まで全体を画面でみせる構成がタチ映画そのもので、よくわかります。
 『イリュージョニスト』のストーリーは、1950年代フランス・パリの場末のステージで昔ながらのマジックを披露する初老の手品師タチシェフが、ある日スコットランドの離島に流れ着き、そこの片田舎のバーで貧しい少女アリスと出会うことから始まります。彼女がバーの掃除で使っていた石鹸を新品の石鹸にタチシェフが取り替えたことで彼のことを魔法使いだと信じ、彼女は島を離れるタチシェフを追います。言葉が通じないながらもエジンバラの片隅で一緒に暮らし、タチシェフは彼女にプレゼントを続け、アリスはどんどん美しくなっていきます。そんなある日、アリスは格好いい青年と出会って…といったお話です。場末の落ちぶれた芸人、老人の助けで輝きをます少女、そして後で現れる若い男、この筋書きはチャップリンの晩年作『ライムライト』を彷彿とさせますが、ショメ監督によるタチ映画は劇的な展開をみせませんし、あくまでパントマイムにこだわる姿勢は、動きで語りながらもセリフを必要としたチャップリンとは対照的です。アリスとタチシェフが言葉でコミュニケーションがとれないのも(アリスの言葉はケルト語の一種であるゲール語)、そうした姿勢の反映だと思います。
 ショメ監督が公式サイトの「プロダクション・ノート」で、「もし『ベルヴィル・ランデブー』が複雑な話をシンプルに語っているとしたら、『イリュージョニスト』はその真逆だった。すごくシンプルに見えて、極めて複雑なんだ」と言っていますが、この複雑さをアニメーション映画監督の細田守が『熱風』の記事で、“手品”を“アニメーション”でやることの二重性として指摘していました。つまりアニメーションは作画をすれば、どんなマジックだって起こせるわけで、手品の驚きが全く伝わらないと。でも、それをあえてやることがその二重性だというわけです。この手品をアニメーションでみせるのは、細田氏の指摘の通り、諸刃の剣だと私も思います。下手をすれば、映画の世界が瓦解しかねません。それに、手品のみせ方にしても引きの画面で、説明的なカット割をしていないので、タチシェフの手品のなかには仕込みがわからないものがありました。だから、それは想像するしかないのですが、そもそもその手品に“仕込み”が本当に存在するのか、と疑問を持たれてしまう恐れがあります。ショメ監督はこの問題を気づかずに、放置していたのでしょうか。私は思うのですが、しかしだからといって、手品をする前に観客にその仕込みを全部アップでみせて説明したりしたらどうなるのかと。そうしたら、タチシェフの手品の裏側を知った観客で、その手品を魔法と信じるアリスのことを馬鹿にする人が多くでてくる可能性があります。ショメ監督はそうなるよりも、アリスとともにタチシェフの手品を(タネがあると知りながらも)驚き楽しみ、アリスが魔法と信じてしまう気持ちを理解して欲しかったのだと思います。手品のなかに仕込みが示されないものがあるからこそ、最後のタチシェフの“種明かし”が印象深くなるのだし、どこかさっぱりした気分にもさせてくれるのです。
 ここまで長々と思うところを書いてきましたが、この映画はハリウッド映画のようにエンターテイメント主体の映画ではありません。でも、人生の哀しみや楽しみ、あり方のひとつをアニメーションで描いた美しい作品だと思います。手品師についていくアリスの姿は、映画を観にくる私たちの姿であり、タチシェフたちがそれぞれの人生を歩んでいくように、私たちは映画が終わるとそれぞれの人生へと戻っていくのです。




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  1. 2011/03/10(木) 21:43:27|
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■日本映画の可能性 トラン・アン・ユン監督『ノルウェイの森』



 村上春樹原作の映画『ノルウェイの森』を観てきた。私は村上春樹の小説は大体読んでいて、その中で『ノルウェイの森』は特に好きな部類の小説ではないのだけど、もちろん既読済みではある。1065万部と日本で一番売れている小説(映画パンフレットより)で、その内容の性描写の多さなどから、毀誉褒貶の激しい作品ではあるが、ベトナム系フランス人のトラン・アン・ユンが監督をするということで、外国人の監督がこの原作をどう料理するのかしばらく前から楽しみにしていた。
 原作既読者としての感想をここで述べるとすると、原作を読んだ人間(あくまで私という人間の主観ではあるが)にとって、トラン監督による『ノルウェイの森』の映画化は非常に幸せなものだったと思う。この映画の空気感や美しさはトラン監督にしか出せないと思わせるものであったし、室外での撮影と室内の装飾や小道具、服装など画面作りにかけるこだわりや徹底さが感じられ、とてもよかった。キャストは日本人で、舞台は日本であるから、れっきとした日本映画のひとつであるのは確かではあるが、監督をはじめメインスタッフに外国人がいることが、この映画を日本人監督による日本映画とは一線を画する出来にしている。しかも、脚本には原作者である村上春樹のチェックが入っていたり、音楽には世界的音楽バンドであるレディオヘッドのギタリストであるジョニー・グリーンウッドが務めていて、使用許可がなかなか下りないビートルズの曲(映画タイトルと同名の「ノルウェーの森」)もしっかり流れることを考えると、村上春樹ファンからしたらこれ以上望むべくもない環境で出来た映画だったのではないだろうか。キャストの好き嫌いは個人各々あるには違いないが、それを含めても私としては満足のいく映画だった。
 ただこの映画に関して注意しておくべき点がいくつかある。それは、原作に忠実であるが故に、内容そのものに対して肌が合わない人がいるのではないかという点がひとつ。ふたつ目は、この映画がシンプルな娯楽映画ではないということである。だから、日本で最近量産されているTVドラマの延長でつくられているような映画を観に行く気分でいくと、痛い目をみてしまう人が多いような気が私にはする。最後に注意しておくべき点は、トラン監督による演出でじっくりカメラを回してみせていく場面が多く、観客の緊張をいくぶん強いるようなことも多々あり、このような種類の映画に慣れていない人にとっては気楽に映画を観ていられないかもしれない。しかし、このような難点があるとしても、原作が持つ鋭さをマイルドにして、娯楽色を強めるために原作を改変されたりするよりは、よっぽどマシだったと思う。私は今のかたちで映画をまとめてくれた監督に感謝したい。ありがとう、トラン・アン・ユン監督。


 レコード盤を模した凝ったつくりのパンフレット。

 


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母親殺しの物語 村上春樹『スプートニクの恋人』

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  1. 2010/12/13(月) 01:21:02|
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■巨匠の力業 ジブリ美術館短編映画 宮崎駿監督『パン種とタマゴ姫』

ジブリの森のえいが『パン種とタマゴ姫』


   いばらの森のその奥の水車小屋に暮らす、
   バーバヤーガに召し使いにされた「タマゴ姫」は、
   水車小屋に閉じ込められ、重労働に追われるつらい
   毎日でした。ある夜、バーバヤーガの言いつけでこねていた
   パン種が、突然生命を持ち、動き出します。
   その「パン種」とともに、恐ろしいバーバヤーガから
   逃げ出すタマゴ姫。二人のこの先はどうなるのでしょう…。

 場所:ジブリ美術館
 期間:2010年11月20日(土)~2011年5月22日(日)
 時間:11分37秒
 原作・脚本・監督:宮崎駿
 音楽:久石譲

 2006年2月27日放送のNHK「生活ほっとモーニング」のジブリ美術館特集で、宮崎駿はジブリ美術館限定で上映される短編映画の立ち位置についてこう語っています。「映画を観にくるよりも、美術館にくるんだと思うんです。それで映画も観ていくんです。だから、あんまり面白くつくんなくてもいいんですよ。へんな言い方ですけど、だから、なんていえばいいんですかね…もうちょっと正直につくれるんです。面白いか面白くないかわかんないけど、これやってみたいからやってみたい、っていうね」。
 商業的な成功が求められる長編映画では滅多にできないこと、そしてやらないことを宮崎駿は短編映画で試みています。前者の例をあげれば、水グモのもんもんがアメンボのお嬢さんにほのかな恋をする『水グモもんもん』。このような異種の虫同士の恋物語(人は出てきません)を長編映画化するのはジブリといえども難しいでしょうし、この作品は『借りぐらしのアリエッティ』の雛形でもあるのだけど、人の形をしたもの同士の交流を描いた『アリエッティ』よりも『水グモもんもん』の方がより意欲的でラディカルです。川の中の生態の様子や描写などピカイチの出来で短編映画の中でも必見だと思います。そして、長編映画ではやらないことの方の最たる例が、続編づくりです。『となりのトトロ』の続編である『めいとこねこバス』がそれで、今のところ続編物としては唯一無二で例外的な扱いです。先ほど、『水グモもんもん』が『アリエッティ』の雛形であるといいましたが、実は短編映画は長編映画制作に向けた実験作としての側面もあります。その一つの例としてわかりやすいのが、キャラクターデザインと背景を単純化してアニメーションの面白さを追求した『やどさがし』です。この作品はその説明からも分かるとおり『崖の上のポニョ』の作画技術的な先駆作品の一つで重要な作品であり、それと同時にその追求度は『ポニョ』よりもある意味徹底していて、背景画の簡素化とその隙間を埋めるかのごとく環境音のオノマトペの視覚化、そして、音楽と効果音を全てタモリひとりの声で表現する実験精神などを考えると、『やどさがし』は短編映画の中で一番実験的な作品です。
 ここで紹介してきた短編映画も紹介できなかった短編映画のどれもジブリ美術館という限られた場所でしか公開されていませんが、そのクオリティはどれも非常に高く、作品自体の面白いさも長編映画とはまた違ったものがあるので、最近のジブリ作品はどうも苦手だという方こそ是非一度でもジブリ美術館に行って、短編映画を観てほしいと私は思います。


 ロシアの方の民話でよく出てくる魔女・バーバヤーガ。
 臼に乗って移動する。

 ジブリ美術館の短編映画としては8作目の『パン種とタマゴ姫』を公開初日に観てきました。NHKのプロフェッショナル仕事の流儀でこの作品のドキュメントを少しやっていたのを観て、「21世紀に通用する作品とはなにか」に宮崎駿は非常に苦心しているのが伝わってきたのだけど、この『パン種とタマゴ姫』を観ると、ああこんなにも苦しんでいるのか、そしてああ本当に真剣に新しい物語をつくろうとしているのだなと理解しました。この作品は全編キャラクターのセリフが全くなく、ヴィヴァルディの『ラ・フォリア』という曲を久石譲が現代的に再構成した音楽を伴いながら、宮崎駿を筆頭とする作画スタッフのアニメーションの力でぐいぐいと物語を引っ張っていく強い意志を感じました。私はこの作品を観るまでは、もっと気楽なほっと息がつけるような映画を想像していたのだけど、「今回は普通の映画にはしたくない」という宮崎駿の意気込みがタマゴ姫やパン種のような気が抜けたキャラからは予想できない、得体の知れない迫力をこの作品に獲得させています。
 『パン種とタマゴ姫』は、バーバヤーガという魔女が目玉焼きをまとめ食いしているシーンから始まります。フライパンから直に食べているバーバヤーガは次々に新しい卵を入れていきますが、ひとつだけ強く何度叩いても割れない卵がありました。それが、タマゴ姫です。魔女は自分のリボンをタマゴ姫のスカートにして、召使いとしてタマゴ姫を働かせます。ある晩、魔女の水車小屋で挽いている小麦を粉にしたものをまとめて入れてある船型のいれものに月の光が差し込んできます。すると、小麦の粉は生命を持ちはじめ、むくむくと動きだします。魔女が置いていったリンゴは鼻になり、近くにいたタマゴ姫はブトウで目をつけてあげました。そして、ふたりは魔女の小屋から逃げ出します。ここからふたりの逃避行が始まるのですが、ウサギの姿をした農民たちが麦畑で働いている中を駆けていくふたりの動きは、久石譲の駆り立てるような音楽もあいまって躍動感にあふれています。追ってくる魔女との駆け引きや村の中でのドタバタなど観ていて面白く、アニメーションの素晴らしさを私たちに教えてくれているようです。バーバヤーガについに追い詰められ、パン種は釜戸に入れられてしまうのですが、そこから出てくるのはこんがり焼けた丸パンではなく、マッチョになりどこか精悍な顔つきをしたパン雄。騒ぎに駆けつけた村の領主であるタマゴ王とタマゴ女王(タマゴ姫の父と母?)の立会いもあり、バーバヤーガの取り分としてパン雄の胸の部分が与えられ、騒動は決着。夕日を背にパン雄とその肩に乗ったタマゴ姫はどこかに出かけていくのでした、めでたし、めでたし。
 文にすると、筋の通った話に思えるかもしれませんが、上に書いたのは映画のパンフレットの情報と映画を体験し終えた私の解釈が入っていますし、実際映画を観ているときは、これから何が起こるか予想がつきませんでした。「この作品では、動機の説明はしたくない」という宮崎駿の言葉のとおり、キャラクターの顔は何を考えているかわかりません。それに、セリフがないので、観客はキャラクターたちの行動を固唾を呑んで見守るしかなく、物語の先読みをするのは困難です。凡百の演出家なら、この物語を貴種流離譚の一種と捉えて、タマゴ王とタマゴ女王の元からタマゴ姫が離れていく発端の場面をつくって、話をわかりやすくすると思うのですが、宮崎駿は「正体を捕まれないようにする」ため、そのようなことはしません。いわば、観客たちは物語が立ち上がって、生成していく様をみていくしかないのです。このような種類の映画は下手をすれば、行き当たりばったりのものになりがちですが、そこをアニメーションの力で乗り切る宮崎駿はさすがとしかいえません。このような芸当ができるのは、アニメーションの力を信じ、それを具現化できる力量をもったスタッフたちがいるからこそだと思います。『パン種とタマゴ姫』は、現代的な物語の探求者である宮崎駿を再確認するいい機会に、私にとってはなりました。


『パン種とタマゴ姫』の着想の元となったピーテル・ブリューゲルの「穀物の収穫」

 『パン種とタマゴ姫』の公開と同時にジブリ美術館では、企画展「ジブリの森のえいが展―土星座へようこそ―」の後期分が始まっています。この展示では、ジブリ美術館でこれまで公開されてきたすべての短編映画を立体造形物やパネルを使って紹介していますが、後期からは『パン種とタマゴ姫』の展示も追加されました。パン種とタマゴ姫の逃避行の一瞬をジオラマ化した展示物をはじめ、麦からパンができるまでの過程を、麦を刈るための鎌や麦、そして小麦粉の実物を展示して、さらに宮崎駿による解説パネルでわかりやすく丁寧に紹介してくれています。この宮崎駿の解説イラストがとてもユーモアたっぷりで、私はパネルの前でしばし立ち止まって読みふけってしまいました。情報量も多く、映画の中では一言もしゃべらなかったパン種やタマゴ姫、バーバヤーガの三方がこのパネルでは饒舌に説明してくれますし、ライ麦の説明では、黒パンを食べているハイジが描かれていたりしているので、このような小さな発見をするのも楽しかったです。『パン種とタマゴ姫』ができるまでの展示として、絵コンテというよりメモ書きのストーリーボードやイメージボードなども展示されていて、親切にも、ただ絵が描かれた紙が置いてあるだけではなく、宮崎駿による解説があってこの作品の成立までの過程がよくわかります。タマゴから女の子が出てくる案は、20世紀では通用したかもしれないけど、21世紀では通用しないと指摘してあって、似たようなアイディアで以前本人も大いに関わった『ガリバーの宇宙旅行』を思い出してつい笑ってしまいました。展示の中ほどには、色んな種類のパンを部分にして、映画よりも勇壮でマッチョ度を増したパン雄の姿があって、これも見物です。
 短編映画の上映前や企画展示室の一角で、これまでの短編映画のダイジェストをまとめた数分の紹介フィルムもかけられているので、まだジブリ美術館に来たことがない人にとっては格好の機会かもしれませんよ。


『パン種とタマゴ姫』のサウンドトラック。
ジブリ美術館でしか買えない。1000円。

 追記.『パン種とタマゴ姫』のサウンドトラックが、2011年2月2日に一般発売されることになりました。値段が1260円と美術館販売盤よりやや割高となっています。それと、ケースカバーが一般販売盤と美術館販売盤では違うようです。(2011/2/2)



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テーマ:スタジオジブリ - ジャンル:映画

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  1. 2010/11/21(日) 21:43:18|
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